「エゴ・サーチ」11

第9回公演/エゴ・サーチ 2013年9月11日

こんにちは。ブログの締切りをすっかり忘れていた鴻上です。

今回は、『エゴ・サーチ』の再演ですが、出演者11人のうち、5人が新しい人達ですから、単純な再演ではありません。

まずは、牧田哲也さん。『半沢直樹』に興奮していたら、出てました。堺雅人さんの隣で、堺さんを助けてました。半沢側でよかったです。香川照之さんの大和田側だったら、嫌いになっていたかもしれません。それぐらい、『半沢直樹』に感情移入してます。じつにイケメンで、論理的に見えるのに、お茶目です。僕は、本人の希望により、「マッキー」と呼んでいます。

で、もう一人のイケメン、伊阪達也さん。稽古から一週間は、前回の芝居の続きで、完璧な金髪でした。なんだか、初めて会った人みたいでドキドキしました。ちょい茶髪に染め直した今は、じつに憂いのあるイケメンです。「誰に似ているって言われる?」と聞くと、「安達祐実さん」と衝撃的なコメント。けれど、似ています。本人の希望とは関係なく「いっちゃん」と呼んでいます。

んで、八木菜々花さん。「ふくだけコットン」のCMで話題になった美人さんですが「張ち切れパンダ」という劇団の主要メンバーです。つまり、モデルなのに劇団もやっているのです。それだけで不思議です。柔らかでなおかつ芯の強さを感じさせる人です。本人希望で「八木ちゃん」と呼んでいます。

で、あとの二人は、今年、オーディションで研修生として入団した、森田ひかりと塚本翔大。

森田ひかりは、本人の希望で「プーさん」と呼んでいます。ディズニーの「プーサン」のファンだそうです。塚本翔大は、なんと、現役の神戸大学大学生なのに、大学を捨てて東京に上京。俳優を目指すんだそうです。いいのか。そんなことをしていいのか。神戸大っていえば、名門だぞ。本人の希望で「ショーダイ」と呼んでいます。

という新メンバーです。

先日、「柿食う客」に何回も出演した経歴がある八木ちゃんと、「リアリティー」について話しました。

んで、そのまま、みんなが参加して、「目指すリアリティーとはなんだろう?」という話になりました。

東浩紀氏の『ゲーム的リアリズムの誕生』を持ち出すまでもなく、僕達は、単純なリアリティーで生きているわけではありません。21世紀になり、ますます、私達の生活は、マンガ的・アニメ的・テレビ的・物語的なリアリティーに囲まれるようになりました。そして、そういうリアリティーを感じながら、生きていくようになりました。絵画が、印象派やキュビズムやリアリズムなど、さまざまな手法で現実のリアリティーをとらえようとあがいているのに、ただ、演技だけが、「ナチュラルなリアル」を何百年も続けていいわけがありません。

三上陽永に「第三舞台の時はどう思っていたんですか?」と聞かれました。あの当時、僕は「遊戯的演技」をずっと追及していました。それは、「現代のリアリティーは、真面目に追及することではなく、遊戯としてゲームとして表現することで描くことができる」と感じていました。それが実感でした。どんなに真面目な言い争いになっても「なんでもない。ゲームが白熱しただけだ」という台詞で対応しました。

ただし、「第三舞台」を30年やって、「遊戯的演技」に対応できるのは、じつに演技力がうまくなければできないんだ、という結論に達しました。プロデュース公演で、簡単にたどり着けるものではなく、まさに「劇団」というシステムで、連続的に追及しなければ、現実のナチュラルに拮抗する「遊戯」は創れないと分かったのです。

ずっと、「虚構の劇団」では、俳優の演技力を向上させることだけを考えてきました。ここにきて、いきなり、「「虚構の劇団」では、リアリティーをどう表現するのか?」という質問にぶつかりました。それは、「第三舞台」からの演技論の延長線上の質問です。

さて、それを考えるのか。これから、追及するのか。今、僕は思案中です。

写真は、稽古の最初、役者達による自主的振り付けチェック。リーダーは、小野川晶です。この時の晶は、甘えん坊のデフォルトを捨てて、たくましく、頼りがいのある存在になります。

追伸。

次回のブログは、マッキーによる物語です。今回、マッキーは、一色という作家志望を演じます。作家志望なんですが、なかなか、小説が書けない役です。なので、物語を書くことがどれぐらい大変なのか体験してみるために、ブログですが、作家的な内容にしてね、と鴻上がお願いしたのです。どんな話になるか、じつに楽しみです。

 


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